仮死状態で産まれてから助産師になるまで①

◆自己紹介
ときえ
ときえ

北海道へ嫁ぎ

4人の子どもを育てながら、フリー助産師をしている

ハッピーマタニティ相談室 助産師ときえです

仮死状態で産まれてから助産師になるまで①

今回は
産まれてから今までの
私の過去の話をしていこうと思います

産まれた時の話
幼少期
青春時代
そして看護師を目指すようになった理由

そんな話をしていきます

私が産まれたのは
静岡県磐田市のとある小さな助産院でした

温暖な静岡では珍しく
雹(ひょう)の降る日

私の母は予定日を2週間過ぎても、お産の兆候はありませんでした
「あと1日待って陣痛が来なかったら、病院に転院して誘発分娩だね」
と助産師さんに言われて
自然に陣痛が来るように散歩し続けていたそうです

そのかいあってか
タイムリミットの日
なんと自然に陣痛が来てくれました

その日、父はおらず母は一人でタクシーで助産院に向かいました
助産院に駆け付けた両家の母(私にとっては祖母)に見守られて
母は出産に臨みました

ですが母は微弱陣痛になり
私はなかなか産まれず
難産になってしまいました

助産院ですので医療行為はできません

自然に産まれるのを待つ・・・

そして
とうとう出産になったのですが

私は産声をあげることができませんでした

母は産まれたばかりの私が
真っ黒だったと教えてくれました

重症新生児仮死でした

助産師さんは
産まれたばかりの私の足を持ち
宙釣りにしておしりを思いっきり叩きました

(今は新生児蘇生でそんなことはしないのですが、当時の新生児蘇生はそのように行われていました)

何度も叩きましたが
私は産声をあげず

助産師さんは首を横に振りました・・・

その時

お産に付き添っていた
私の父方の祖母(戦時中何度も出産に立ち会った経験あり)が

「先生!!!!」

と声を上げました

その声で
助産師さんはもう一度
宙釣りにした私のおしりを思いっきり叩きました

その時

「おぎゃあおぎゃあ」

小さな産声をあげたんです!!

(おばあちゃんありがとう・・・♡)

産まれた時から
親を心配させた親不孝な私は

その後も4人きょうだいの中で1番両親を心配させた
親不孝者でした

幼少期から無口で友達も少なく
1人で絵を描いて遊ぶことも多かった私は

中学に入学するまで
ほとんど友達がいない状態でした

中学に入ってからは
学校一厳しいと言われていたソフトボール部に入部し
厳しい練習の中
部活の仲間と絆を深め
そこから交友関係が広がっていきました

その後、高校生活では実家を離れ
寮で生活をしながら
高校生活を送りました

高校では”人の役に立ちたい”と介護福祉科で介護の勉強をし
卒業時には介護福祉士国家試験に合格

看護師を目指すようになったきっかけは
高校の時に読んだ
『おたんこナース』
という漫画でした

それまでは看護師になろうなんて
これっぽっちも思わなかったのですが
『おたんこナース』を読んだ時

ふと
閃いたんです💡

こんな世界があるんだ!

おたんこナースでもできるなら
私にも看護師できるかも!!

単純で思いついたら即行動の私は
そこからなんの迷いも無く
看護師への道を歩みだしました

看護学校での学びは
最高に楽しく
実習やレポートは大変な時もありましたが
友人と切磋琢磨した思い出は一生の宝です

もともと私は介護福祉士だったので

おじいちゃんやおばあちゃんが大好き♡でした

どちらかというと子どもは苦手…

私は看護師になって
おじいちゃんおばあちゃんがたくさんの
病棟に就職を希望していました

どうしてこんな私が助産師を目指そうと思ったか?

それは
仮死状態で産まれてから助産師になるまで②
でお話していこうと思います

このような方はお力になれると思います

 ▼   ▼

リボンこれから結婚・妊娠を考えている方

リボン結婚をすると決めたが、夫や義両親との生活に不安を感じている方

リボン現在妊娠中で妊娠に不安を抱えている方

リボン妊娠中の育児品や出産用品は、何を用意すれば良いか分からない方

リボン母乳育児に関して、相談する人がいない方

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【山端 ときえ プロフィール】

1987年産まれ、静岡県磐田市出身。

看護学校の時、小児看護担当の先生から、「助産師になってみない?」と進められる。
看護学校では出産の見学ができず、「出産も知らないのに・・・」と助産師になろうか悩むが、助産師は妊娠・出産・産後だけでなく、『女性の一生をサポートする職業』ということを知り感銘をうけ、助産師学校を目指すようになる。

助産師学校を卒業後は、総合病院の産科・小児科の助産師として4年間勤める。
主に、分娩介助(赤ちゃんを取り上げるお手伝い)・新生児のお世話・産後のママのお世話・母乳育児の相談・妊婦健診・両親学級の実施を経験。
その間、赤ちゃんを取り上げた人数約90名。お産に付き添った件数約500回。お世話させていただいた新生児の人数約1000人。その他に母乳育児や産後の相談を受けた件数1000件以上。

結婚を機に退職、北海道に嫁ぐこととなる。
2015年4月 長女出産
2016年5月 次女出産
2018年3月 長男出産
2020年5月 次男出産
義両親と3世帯同居の中、未知の土地で、4人の子育てを経験する。

4人目の妊娠・出産の際、コロナ禍で不安な日々を送り、孤独な出産を経験。
コロナ禍でも継続して安心安全な医療を提供してくれる医療従事者の方への『感謝』の思いと同時に、病院で出産するママ達へのサポートが手薄であることも実感した。

待ちに待った赤ちゃんとの生活のはずなのに、産後に新生児のお世話や母乳育児で悩んで、泣いているママの多さに疑問を抱いた。
”妊娠””出産”は一生続く子育てのスタートライン。
もっとハッピーなスタートを切ってもいいのではないか?ハッピーな子育ては、妊娠中から今後の子育てを見据える”マタニティマインド”作りから始まる。
そういった思いで、助産師として、また4人の子育ての経験も生かし、ハッピーマタニティ相談室開所を決意する。

コロナ禍の中、小さな子たちを育てながら、自分にもできることを探し、
相談は、ZOOM・LINE電話、メールを使って行う完全自宅STYLE。

かつて助産師を目指した際、自分の思い描いた理想の『女性の一生をサポートする助産師』を目指して、日々活動している。

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