仮死状態で産まれてから助産師になるまで②

◆自己紹介
ときえ
ときえ

北海道へ嫁ぎ

4人の子どもを育てながら、フリー助産師をしている

ハッピーマタニティ相談室 助産師ときえです

仮死状態で産まれてから助産師になるまで②

今回は前回の続き
仮死状態で産まれてから助産師になるまで②
助産師を目指そうと思ったきっかけ
からお話していこうと思います

前回のお話”仮死状態で産まれてから助産師になるまで①”はこちらの記事をご覧ください↓

私はもともと
おじいちゃんやおばあちゃんが大好きだったので
助産師になろうなんてこれっぽっちも思っていませんでした

そんな私に転機が訪れたのは
卒業を控えた看護学校3年の秋

小児看護担当の先生から
「推薦枠が余ってるから、助産師になってみない?」
と勧められました

私の通っていた看護学校は珍しく
助産師学校も併設されていました

看護学生70人の中から毎年1名ほど
助産師学校に入学できる推薦枠があったのですが
私の学年は助産師になりたいという志願者がおらず
その推薦枠が余っていました

小児看護担当の先生からしたら
せっかくの推薦枠だし誰か推薦しないと勿体ない

そんな軽い気持ちで
私に助産師学校を勧めてきたのだと思います
(ちなみに助産師になれるのは、看護師になった上での話です)
(助産師はみんな看護師資格を取得しています)

ですが助産師になるなんて夢にも思っていなかった私は
今までの生涯の中で1番悩みました

看護学校での母性看護実習ではタイミングが合わず
お産に立ち会うことができませんでした

助産師さんのあとをついて
産後のママや新生児のお世話を見学したり
お話を聞かせていただくだけの見学実習

助産師の本業である”お産”を知らない私は
もし私に務まらなかったら・・・
と助産師を目指すことに不安しかありませんでした

友人に相談し
両親に相談し
先生に相談し

それでも答えが出ず
「助産師になろう!」
と思った次の日には
「やっぱり辞めよう。看護師で十分!」
と思ったり・・・

ひたすらに悩む日が1ヶ月ほど続いた時
今は亡き人生の恩人○○さんにお会いする機会がありました

その方は難病を患い、自分で動かせるのは指と顔だけ
日常生活は全介助、車いす生活ながらも
1人で生きる道を選び、1人暮らしをしながら福祉活動をされている方でした

「それは、ときえさんが自分で決めるべきだよ」

「ときえさんの人生だからね。後悔しないように。」

「後から、あの時助産師になっとけばよかったと後悔しても、時間は取り戻せないからね」

その言葉を頂き
私の迷いは一気に無くなりました

「人生後悔したくない」
「”あの時助産師になっとけばよかった”と一生後悔し続ける人生は嫌だ!!」

そう思いました

そこからは助産師になる決意をして
助産師について調べ
受験勉強もしていきました

助産師は赤ちゃんを取り上げる仕事
という認識しか無かった私は

助産師が女性の一生を支え、サポートする職業
だということを知り、感銘を受け本気で
助産師になりたい!
と思うようになりました

助産師学校での1年は
想像を絶する大変さでした
正直、看護学校の実習がお遊びに感じるくらい・・・

1年の間に
座学と並行して
毎日遅くまで学校に残ってお産の練習
夏からは実習ずくめ
24時間病院で寝泊まりさせていただき
最後は、分娩介助を10例経験するまで帰れないといった
実習もありました

お産の1例1例大量のレポートを書いて振り返り
それと並行して研究レポートを書き
国家試験の勉強をして
卒業前には幼稚園に性教育に行ったり
本当に盛りだくさんで

怒涛の1年でした

無事に助産師国家試験に合格✨した私は
産科病院で助産師として勤務し
お産に関わらせて頂いたり
産後のママや新生児のお世話をさせて頂いたり
妊婦健診や両親学級・産後の授乳指導や沐浴指導
看護学生や助産師学生の学生指導をしていました

忙しく責任も重い勤務の中でも
毎日のように

「助産師さんありがとう」

と言っていただき
私なんかがこんな尊い職業につかせて頂けるなんて

なんて幸せなんだ
と助産師を天職だと感じる毎日でした

そんな中、27歳の時
当時、遠距離恋愛でお付き合いしていた
主人と結婚のお話になり
病院を退職し
北海道へ嫁ぐこととなりました

結婚式が終わり
その3ヶ月後には第一子の妊娠が分かりました
いつかは妊娠出産して
子どもを授かりたいと思っていた私は
トントン拍子に妊娠が発覚し
夫婦揃って喜びと幸せに満ち溢れていました

2015年4月 長女出産
2016年5月 次女出産
2018年3月 長男出産
2020年5月 次男出産

今では、2男2女の4人の子ども達に恵まれ
忙しい中でも
幸せな毎日を送っています

真っ黒な仮死状態で産まれ、
助産師さんの必死の新生児蘇生
によって命をいただいた私

(もちろん親や祖母にいただいた命でもあります)

そんな私が、
「助産師さんありがとう!」
と言われる立場になったこと

本当に天職だと思いますし、私を取り上げて下さった助産師さんへの
恩返しにもなると思います

そのようなわけで、今後も妊産婦さんに
ハッピーなマタニティライフ♡
を送って頂くべくサポートをしていきたいと思っています!

微力ながら……

自分のことを振り返るのは
少し恥ずかしいように感じましたが
私のことを少しでもわかって
いただけたら幸いです

こんな私の過去にお付き合いいただき
誠にありがとうございました

今回は
仮死状態で産まれてから助産師になるまで②
をお話させていただきました

助産師を引退し
専業主婦をしていた私が
なぜハッピーマタニティ相談室を開き
もう一度助産師を名乗ろうと思ったか

とても長くなりますので、それはこちらの記事をご覧ください↓

このような方はお力になれると思います

 ▼   ▼

リボンこれから結婚・妊娠を考えている方

リボン結婚をすると決めたが、夫や義両親との生活に不安を感じている方

リボン現在妊娠中で妊娠に不安を抱えている方

リボン妊娠中の育児品や出産用品は、何を用意すれば良いか分からない方

リボン母乳育児に関して、相談する人がいない方

リボン出産が近づき出産への不安がある方

リボン産後の新生児のお世話の方法や準備するものが分からない方

リボン乳幼児の育児で分からないことがある方

 

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【山端 ときえ プロフィール】

1987年産まれ、静岡県磐田市出身。

看護学校の時、小児看護担当の先生から、「助産師になってみない?」と進められる。
看護学校では出産の見学ができず、「出産も知らないのに・・・」と助産師になろうか悩むが、助産師は妊娠・出産・産後だけでなく、『女性の一生をサポートする職業』ということを知り感銘をうけ、助産師学校を目指すようになる。

助産師学校を卒業後は、総合病院の産科・小児科の助産師として4年間勤める。
主に、分娩介助(赤ちゃんを取り上げるお手伝い)・新生児のお世話・産後のママのお世話・母乳育児の相談・妊婦健診・両親学級の実施を経験。
その間、赤ちゃんを取り上げた人数約90名。お産に付き添った件数約500回。お世話させていただいた新生児の人数約1000人。その他に母乳育児や産後の相談を受けた件数1000件以上。

結婚を機に退職、北海道に嫁ぐこととなる。
2015年4月 長女出産
2016年5月 次女出産
2018年3月 長男出産
2020年5月 次男出産
義両親と3世帯同居の中、未知の土地で、4人の子育てを経験する。

4人目の妊娠・出産の際、コロナ禍で不安な日々を送り、孤独な出産を経験。
コロナ禍でも継続して安心安全な医療を提供してくれる医療従事者の方への『感謝』の思いと同時に、病院で出産するママ達へのサポートが手薄であることも実感した。

待ちに待った赤ちゃんとの生活のはずなのに、産後に新生児のお世話や母乳育児で悩んで、泣いているママの多さに疑問を抱いた。
”妊娠””出産”は一生続く子育てのスタートライン。
もっとハッピーなスタートを切ってもいいのではないか?ハッピーな子育ては、妊娠中から今後の子育てを見据える”マタニティマインド”作りから始まる。
そういった思いで、助産師として、また4人の子育ての経験も生かし、ハッピーマタニティ相談室開所を決意する。

コロナ禍の中、小さな子たちを育てながら、自分にもできることを探し、
相談は、ZOOM・LINE電話、メールを使って行う完全自宅STYLE。

かつて助産師を目指した際、自分の思い描いた理想の『女性の一生をサポートする助産師』を目指して、日々活動している。

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